はじめに
電力設備アセットマネジメントの重要性
近年、電力業界では設備の高経年化、労働力人口の減少、そして法制度の進展という三つの大きな変化に直面しています。高度経済成長期に集中的に建設された多くの電力設備が更新時期を迎え、人口減少や省エネルギー化による電力需要の頭打ちが見込まれる中で、安全かつ安定した事業運営をいかに効率的に継続するかが喫緊の課題となっています。特に、現場を支えてきた熟練技術者の引退による技能・知識の喪失リスクは深刻です。このような背景から、電力設備のアセットマネジメントは、将来にわたる持続可能な電力供給体制を確立するために不可欠な要素となっています。
本記事の想定読者と目的
本記事は、電力会社の現場担当者から経営層、さらには政策担当者や関連するITベンダーまで、電力設備のアセットマネジメントに関心を持つ幅広い読者を対象としています。記事を通じて、アセットマネジメントの基本的な概念から、高経年化への対応策、最新技術の活用、再生可能エネルギー設備における特有の課題、そして国際標準や法制度との関連性まで、包括的な知識を提供することを目的とします。
電力設備アセットマネジメントの基本
定義と概念
アセットマネジメントとは、組織が保有するアセット(資産)から価値を最大限に引き出すための調整された活動を指します。もともと金融分野で発展した概念ですが、近年では道路や橋梁などの公共インフラ、そして電力設備のような物理的アセットの管理にも広く適用されています。電力設備におけるアセットマネジメントは、設備の企画から設計、施工、運用、保守・維持管理、更新、そして廃棄に至るライフサイクル全体を通じて、コスト、リスク、パフォーマンスのバランスを最適化し、組織の目標達成に貢献することを目指します。
国内外の動向と法制度
先進国では社会インフラの老朽化が大きな課題となっており、電力流通設備の維持管理においてアセットマネジメント技術の導入が進められています。日本では、2023年度から託送料金制度(レベニューキャップ制度)が見直され、電力広域的運営推進機関(OCCTO)が「高経年化設備更新ガイドライン」を策定しました。これにより、一般送配電事業者は、リスク評価に基づいた更新投資や修繕の方針を盛り込んだ事業計画の策定が求められています。また、火力発電所においては、IoTを活用した高度な設備監視や異常検知を行うことで、法定定期検査期間の延長が認められる特例措置も導入されるなど、法制度の観点からも高度なアセットマネジメントの推進が強く求められています。
対象となる主な設備種
電力設備におけるアセットマネジメントの対象となる設備は多岐にわたります。主なものとしては、送電線、変電設備(変圧器、遮断器など)、配電設備(電柱、電線、ケーブル、柱上変圧器など)といった電力流通設備が挙げられます。これらの設備は、1960年代から1990年代にかけての需要増加期に大量に建設されたものが多く、現在、高経年化が進行しています。また、近年導入が進む太陽光発電や風力発電などの再生可能エネルギー設備も、その特性に応じたアセットマネジメントが不可欠です。
進行する設備高経年化への対応
経年化の現状と影響
日本の電力設備は、高度経済成長期に集中的に建設されたものが多く、現在、一斉に高経年化の時期を迎えています。例えば、電力流通設備においては、鉄塔の部材の発錆、変圧器からの漏油、電柱のコンクリート剥離や内部鉄筋の錆など、経年による劣化が進行しています。これにより、設備の不具合や故障リスクが増大し、電力の安定供給への影響、さらには公衆安全への懸念が高まっています。また、メンテナンスに必要な物量の大幅な増加は、事業者の費用負担増にも直結します。
保全・更新計画のポイント
高経年化への対応には、効率的かつ戦略的な保全・更新計画が不可欠です。従来の、一律の設計寿命に基づくTBM(Time Based Maintenance:時間基準保全)から、設備の状態やリスクに基づいたRBM(Risk Based Maintenance:リスク基準保全)への移行が求められています。具体的な手法としては、設備の状態や使用環境などで点数を付け、総合的なリスクを評価するスコアリング手法が検討・導入されています。この際、リスクを「故障時の影響度 × 故障確率」として定量的に評価し、影響度を金額換算すること、そして設備の状態診断と劣化特性分析を併用した余寿命評価を精緻に行うことが重要です。これにより、費用や施工力、設備の停止制約といった課題を考慮しつつ、長期的な観点から効果的な投資と効率的な設備保全計画を策定することが可能となります。
施工力と人材確保の課題
高経年化設備の維持更新が本格化する中で、将来にわたる持続可能な施工力の確保は大きな課題です。労働力人口の減少に伴い、熟練技術者の引退が進む一方で、新規入職者の確保も困難な状況にあります。これに対応するため、機械化による省力化や、休日取得・週休2日を考慮した工事計画の策定による労働環境の改善などが進められています。また、職種の認知度向上に向けた取り組みも重要であり、働きやすい環境を整備することで、人材確保と施工力維持を図る必要があります。
最新技術とデジタル活用の潮流
ITシステム・デジタル化事例
電力設備のアセットマネジメントでは、ITシステムやデジタル技術の活用が不可欠です。IoT、AI、アナリティクスなどの技術を駆使することで、設備の状態監視や予知保全、リスクベースメンテナンス(RBM)の高度化が実現されつつあります。例えば、ドローンやロボットによる遠隔点検・自動化、デジタルツインによるメンテナンス計画の精度向上などが研究・導入されています。また、スマートグラスを活用し、現場作業員が必要な情報をリアルタイムで確認したり、遠隔地の専門家とコミュニケーションを取ったりすることで、現場業務の効率化を図る取り組みも進んでいます。
設備台帳・リスク管理ソリューション
設備台帳管理ソリューションは、設備・機器の仕様書、図面、完成図書、点検履歴、保全情報などを一元的に管理し、アセットマネジメントの基盤となります。これにより、設計から維持管理に至る多様な立場のユーザーが必要な情報をいつでも参照し、業務での活用と情報共有が可能になります。また、リスク管理ソリューションは、設備の故障確率と故障影響度からリスク量を定量的に算出し、リスクマトリクスを用いてリスク状態を評価します。これにより、対応の優先度や重要度を決定し、効果的なリスク軽減策を講じることが可能になります。
データ活用による最適化
アセットマネジメントシステムは、EAM(Enterprise Asset Management)、APM(Asset Performance Management)、AIPM(Asset Investment Planning and Management)の三つの要素から構成されます。EAMは設備情報や工事情報、巡視・点検情報などを統合管理し、APMは設備の状態診断やリスク評価を行います。そして、AIPMはAPMで算出されたリスク量を基に、設備投資計画の策定と最適化を行います。これにより、リスク量や費用を制約条件として投資群を最適化し、事業特性に沿った最適な投資計画を策定できます。例えば、取替修繕費の目標値を考慮した工事計画の最適化など、複雑な計算を伴う計画策定も可能となります。
再生可能エネルギーと次世代インフラ
再エネ設備に特有のアセットマネジメント
再生可能エネルギー設備、特に太陽光発電は、固定価格買取制度(FIT制度)の導入以来、急速に普及が進みました。これにより、大規模な投資が行われ、日本の電力インフラとして無視できない存在となっています。再エネ設備のアセットマネジメントは、資金管理に留まらず、設備の不具合や自然災害による投資家収益の棄損を防ぎ、収益の最大化を目指します。太陽光発電所においては、発電所の状態を把握し、中長期的な視点で収益を最大化し、リスクをコントロールすることが重要です。
開発・運用・出口戦略の要点
再生可能エネルギーのアセットマネジメントは、開発フェーズから運用フェーズ、そして出口戦略まで一貫した視点が必要です。開発フェーズでは、工事請負、地権者・周辺自治体との折衝、保険の付保、資金調達など、多岐にわたる業務が発生します。運用フェーズでは、経理・財務運営、関係者との交渉支援、O&M業者(Operation & Maintenance:運転管理業務・保守点検業務)の監視・折衝などが求められます。O&Mは技術的な設備管理を担うのに対し、アセットマネジメントは資産運用効率の最大化、収益の最大化を目的とする事務代行としての側面が強いのが特徴です。出口戦略では、資産価値の評価や売却価格設定に関する助言、売却先の紹介・選定・仲介など、投資家収益の最大化を図るための提案が重要となります。
次世代インフラへの転換対応
再生可能エネルギーの導入拡大に伴い、エネルギー市場は多様化し、FIP(Feed-in Premium)制度、コーポレートPPA、アグリゲーター事業、容量市場など、新たなビジネスモデルが登場しています。また、再生可能エネルギー特措法の改正など、法規制も頻繁に見直され、整備が進んでいます。このような次世代インフラへの転換に対応するためには、単に個別の設備管理に留まらず、組織全体、部署横断で全体最適化を志向するアセットマネジメントが不可欠です。
国際標準・ガイドライン・レベニューキャップ制度との関係
ISO55000などの活用意義
ISO55000シリーズ(ISO55000、ISO55001、ISO55002)は、アセットマネジメントシステムの有効性および効率性の改善、そして持続可能な事業目標の実現を主眼に開発された国際標準規格です。ISO55000はアセットマネジメントの概要、原則、用語を規定し、ISO55001はアセットマネジメントシステムの要求事項を、ISO55002はISO55001の適用のための指針を提供します。ISO55001の導入により、アセットマネジメントの改善・効率化・高度化、第三者への説明能力の強化、インフラの包括委託管理やPFI事業への参画への有利性、インフラ・プラントの海外輸出の促進といった効果が期待されます。
ガイドラインと実務への落とし込み
国際標準だけでなく、電力広域的運営推進機関による「高経年化設備更新ガイドライン」や、「太陽光発電アセットマネジメントガイドライン(案)」など、具体的な実務に即したガイドラインも策定されています。これらのガイドラインは、設備の故障確率と故障影響度からリスク量を標準的に算定する方法や、設備更新に係る工事物量算定の基本的な考え方を示しており、各事業者が経験や知見に加え、標準的な評価方法を導入することで、適切かつ合理的な設備更新計画の策定に資することを目的としています。ガイドラインを実務に落とし込むことで、資産管理の標準化、組織的な信頼性の向上、財務パフォーマンスの最適化、そしてグローバル基準への準拠が期待されます。
効率化・価値最大化に向けた規制対応
託送料金制度(レベニューキャップ制度)では、一般送配電事業者は国からの指針に基づいた事業計画を策定し、その中でアセットマネジメント等の手法に基づく更新投資や修繕の方針を明確にする必要があります。この制度は、投資効果の最適化やコスト削減を促し、効率的な設備管理を通じて電力の安定供給と託送料金の抑制を両立させることを目指しています。アセットマネジメントシステムを導入し、PDCAサイクル(Plan-Do-Check-Act)に基づいた継続的な改善活動を実施することで、規制に適合しつつ、資産から得られる価値を最大化することが求められます。
今後の展望とまとめ
業界としての今後の方向性
電力業界は、設備の高経年化、脱炭素化の推進、そしてデジタル技術の進展という大きな波の中にあります。今後は、IoTやAIを活用したデータドリブンなアセットマネジメントがより一層重要になり、設備の故障発生可能性と故障時の影響度を定量的に評価することで、設備リスクを最小化し、更新時期の最適化を検討する方向へと進むでしょう。また、再生可能エネルギー設備や系統用蓄電池システムへの投資も加速し、これら次世代インフラのアセットマネジメントも重要な領域となります。
トレンド・課題・将来の期待
アセットマネジメントのトレンドとしては、技術の発展と低廉化に伴い、ドローンやロボットを活用したメンテナンスの遠隔化・自動化、デジタルツインによるメンテナンス計画の精度向上などが挙げられます。一方で、熟練技術者の減少や、膨大な設備を効率的に管理するための人材育成、そして多様なデータを統合し活用するためのシステム構築といった課題も依然として存在します。将来的には、これらの課題を克服し、アセットマネジメントを革新することで、電力会社が単なるインフラ提供者から、持続可能な社会を支えるゲームチェンジャーへと進化することが期待されます。
本記事の活用方法
本記事が、電力設備のアセットマネジメントの重要性を再認識し、その基本から最新動向までの理解を深める一助となれば幸いです。個々の組織の状況に応じたアセットマネジメント戦略の策定や、新たな技術導入の検討、そして国際標準や法制度への対応を進める上での参考として、ぜひご活用ください。











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