32年の会社員人生を振り返る
ヤマハ初の女性役員としての経緯
大村寛子さんは、2019年にヤマハの初の女性執行役員に就任しました。ヤマハでの約32年間にわたるキャリアの中で、大村さんはITや製造部門、電子楽器の商品企画、鍵盤楽器部門のグローバル営業、新部門の立ち上げなど、広範な業務に携わってきました。特に、マーケティングやコーポレートブランディングの分野で多くの実績を積み上げたことが、執行役員としての任命に繋がったと言えます。長年にわたり男性役員が多い環境での勤務を経て初の女性役員となり、ヤマハの歴史と企業文化において、新たな道を切り開いた存在です。
働き続けた理由と困難を乗り越えた経験
大村さんがヤマハで32年間働き続けた理由は、その仕事に対する情熱と新しいことに挑戦し続ける企業環境があったからです。とくにキャリア初期から「鋼のメンタルの持ち主」として自負し、高い意欲を持って取り組んできました。しかし、初の女性執行役員としての役割を果たす中で、周囲の役員が全て男性であるため、特に発言や行動に慎重さを求められる状況がありました。このような挑戦の中で培われた対応力と忍耐力が、彼女のリーダーシップに大きく寄与したといえます。
女性役員の少なさをどう受けとめたのか
執行役員に就任した時点で、ヤマハはもちろんのこと、日本全体においても女性役員の割合は非常に低い水準にありました。2023年時点で、プライム市場上場企業における女性役員比率が13.4%と記録されていますが、大村さん自身はこの現状に対し、課題を明確に認識しながらも、変化を促す役割を担えることに使命感を感じていました。また、ヤマハが掲げる「2030年までに女性役員割合を30%にする」という目標に対して、先駆者としての自覚を持った大村さんは、自らの経験を通じて女性がリーダーとして活躍できる環境づくりの重要性を改めて実感しています。
ヤマハでの役員経験から得たもの
経営層としての視点が変えた視野
ヤマハ初の女性役員として執行役員に就任した2019年、大村寛子さんは、それまでの業務とは異なる経営層ならではの視点を求められる役割を担いました。経営層としての経験を通じて、会社全体の方向性を見据えながら意思決定を行うという視座の重要性を痛感したといいます。また、「経営」は短期的な成果だけでなく、中長期的な企業の継続的成長を見据えた戦略を練る場であることを学び、これが自身の視野を大きく広げたと述べています。ヤマハのようなグローバル企業では、各国が抱える文化的背景や市場特性を深く理解する必要があり、その中で日本企業としての価値をどのように発信するのかといった企業全体のブランド戦略に取り組むことで、より広範な視点を習得するチャンスとなりました。
企業文化の中で築いた信頼と協力
ヤマハで役員として活動する中で、大村さんが特に重要視していたのは「信頼を基盤にした協力関係」の構築でした。同じ役員の立場にある男性陣の中で自分の意見を正当に評価されるよう、高い透明性を持ってコミュニケーションを行ったり、プロジェクトごとに役割分担を明確化することで、結果的に周囲からの信頼を得ることに成功したそうです。また、社内には多様な部門や専門性が存在するため、これらをうまく連携させる重要性を強く感じていたといいます。その結果、経営の一端を担う責任感を持ちながらも、多くのメンバーと協力し合う文化づくりに寄与しました。
女性リーダーとしての課題と成果
女性役員が非常に少ない環境の中で、大村さんは多くの課題を経験しました。特に、役員会での発言において、周囲に男性ばかりという状況が一つのプレッシャーとして感じられたといいます。しかし、それを理由に自らを制限するのではなく、「鋼のメンタル」と彼女自身が形容する強い意志を持って挑み続けました。その結果、ヤマハでは女性のキャリアパスを見直す取り組みが進み、育児休暇後の復帰率100%や平均勤続年数の男女差がない制度の構築が実現しました。「女性役員の少なさ」を自らが突破口となることによって、ヤマハ全体の女性活躍推進への布石を築いたと言えます。
32年後の退社、起業への決断
人生最大の決断をした理由
32年間勤めたヤマハを退職するという決断は、大村寛子さんにとって人生最大の節目でした。ヤマハでは女性として初めて執行役員を務め、会社の成長と変化に寄与してきましたが、その後の人生を考える中で、自分の力を新たな形で発揮したいという思いが芽生えました。役員として多くの責任を背負う中で、多様な働きがいを追求したいという願いが強くなり、勇気を持って退社を決心されたのです。
起業の道を選ぶまでの葛藤
ヤマハでの成功と成果があったからこそ、起業への道のりは簡単なものではありませんでした。54歳での再スタートという点も、決して軽い決断ではなかったといいます。しかし、自身の経験やスキルを次世代のために活かし、「個」として挑戦したいという強い信念が、大村さんを支えました。同時に、ヤマハで培ったマーケティングスキルやコーポレートブランディングの経験が新たなフィールドで活きるのではないかとの直感が、迷いを払拭するきっかけとなりました。
新たに挑戦するブランドコンサルティング業界
大村さんは退職後、ブランドコンサルティング会社「trine(トライン)」を立ち上げ、全く新しい挑戦に踏み出しました。この業界を選んだ理由は、ヤマハ時代に培ったブランディングや戦略支援の経験を、スタートアップ企業や中小企業の支援に活かすことができると感じたからです。現在、「trine」では企業のブランド構築や戦略提案を行い、成果を積み重ねています。新しい環境の中で、自らの力を最大限発揮できることを大村さんは何よりの喜びとしています。
女性活躍推進のこれから
女性のキャリア形成支援への思い
大村寛子さんは、ヤマハで32年間勤務する中で、女性社員がキャリアを築く上で直面する課題に向き合ってきました。自身がヤマハ初の女性役員として活躍する中でも、「女性がリーダーとなることが当たり前」という環境づくりにはまだ大きな壁があると感じていたそうです。ヤマハでは育児休暇後の復帰率100%を達成し、平均勤続年数に男女差がない制度を構築するなど、女性社員の支援に積極的に取り組んでいましたが、それでも女性役員の少なさが課題として残っていました。
大村さんは、自身の経験を元に、女性がキャリアを中長期的に考え、「やりたいことを実現する手段」として仕事を楽しめる環境を増やしたいと語っています。そして、これはヤマハだけに限らず、日本全体の企業文化や社会の意識を変革する必要があると感じ、トラインを設立した今もその思いを胸に抱いています。
ダイバーシティを推進する企業文化の重要性
ヤマハでは、2030年までに女性役員の割合を30%にするという目標を掲げ、ダイバーシティ推進に力を入れています。また、女性のエンパワーメント原則(WEPs)に賛同し、企業内で男女問わず活躍できる環境づくりを進めてきました。こうした取り組みの中で、大村さんは役員としての視点から、多様性が持つ力を実感してきたと言います。
「多様な視点が存在することで、議論の幅が広がり、これまで想像できなかったような解決策やアイデアが生まれる」と言う大村さん。特に楽器やエレクトロニクス分野でのグローバル営業や商品企画に携わる中で、多様性の重要性を痛感し、組織におけるダイバーシティがもたらす効果を目の当たりにしてきました。多様性が根付いた企業文化を築くことは、競争力のある組織作りにも繋がるのです。
後世に伝えたいリーダーとしての教訓
大村さんがリーダーとしての経験から学んだことは、「自分を信じ、発言を恐れない勇気を持つこと」だと言います。ヤマハ時代、執行役員として初めて役員会議に出席した際、周りは全て男性でした。その中で、自分の意見がどう受け止められるのか分からず、慎重にならざるを得なかった時期もありました。しかし、役員としての経験を重ねる中で、自分の意見が議論を進める上でいかに貢献するかを実感し、自信を持てるようになりました。
また、大村さんは後進の女性リーダーたちに、「完全でなくても発言や行動に移すことが重要だ」と伝えています。全てが整ったタイミングを待つのではなく、まずは一歩を踏み出す勇気が、結果的に信頼や協力を築くきっかけになるという教訓です。この姿勢は、未来の女性リーダーにとって大きなヒントとなるでしょう。