はじめに
電力インフラの重要性とアセットマネジメントの役割
電力は現代社会において不可欠なインフラであり、その安定供給は経済活動と国民生活を支える基盤です。しかし、日本の電力インフラは高度経済成長期に集中的に整備されたものが多く、設備の高経年化が急速に進んでいます。これに伴い、設備の維持管理や更新、そして安定的な電力供給を維持するための効率的な資産運用が喫緊の課題となっています。
このような背景の中で、アセットマネジメントの役割が重要視されています。アセットマネジメントとは、組織が保有する資産(アセット)から最大の価値を引き出すために、コスト、リスク、パフォーマンスの最適なバランスを考慮し、調整された活動を行うことです。電力会社においては、物理的な設備だけでなく、情報や人材といった多様なアセットを総合的に管理し、ライフサイクル全体で価値を最大化していくことが求められます。
この記事の目的と読者層
この記事では、日本の電力会社におけるアセットマネジメントの現状と課題、基本概念、国際規格、具体的な事例、そして最新の技術動向や今後の展望について解説します。電力業界関係者、特に設備の維持管理や事業計画策定に携わる方々、またアセットマネジメントに関心を持つ学生や一般消費者を主な読者層として想定しています。
日本における電力会社のアセットマネジメントの現状
設備の高経年化とその課題
日本の電力インフラは、戦後の高度経済成長期に大量に新設されました。現在、これらの設備が一斉に更新時期を迎えており、設備の高経年化が大きな課題となっています。例えば、送電鉄塔の多くが建設から40〜50年が経過しており、老朽化による事故リスクが高まっています。電力需要の増加が見込めない中で、いかに効率的に事業の安全・安定を確保するかが求められています。
労働力人口の減少がもたらす影響
急速に進む少子高齢化は、電力業界にも深刻な影響を与えています。労働力人口の減少は、設備の維持管理を担う現場の熟練技術者の不足を招き、長年培われてきた技能や知識の喪失というリスクをもたらします。これにより、従来の保守体制を維持することが困難になりつつあります。
関連する法制度と規制動向
アセットマネジメントの推進を後押しする法制度や規制の整備も進んでいます。火力発電所では、デジタル技術を活用した設備監視や異常検知によって法定定期検査期間の延長が認められる特例措置が導入されました。また、送配電設備の高度な管理を目的として、国の機関が高経年化設備更新ガイドラインを策定するなど、法制度の側面からもアセットマネジメントの重要性が高まっています。2023年度からは「新たな託送料金制度(レベニューキャップ制度)」が導入され、一般送配電事業者は、必要な投資を確保しつつコスト効率化を両立させる事業計画の策定が求められています。
アセットマネジメントの基本概念と国際規格
アセットマネジメントの定義
アセットマネジメントとは、組織にとって潜在的または実際に価値を持つ「アセット(資産)」から、その価値を最大限に引き出すために行われる組織的な活動全体を指します。この活動には、コスト、リスク、パフォーマンスの三要素を最適なバランスで管理することが含まれます。これは単なるメンテナンス(維持管理)とは異なり、資産のライフサイクル全体を通じて積極的に価値を創造していくことを目的とします。
ISO 55000など国際規格の動き
アセットマネジメントに関する国際規格として、ISO 55000シリーズが2014年1月に発行されました。このシリーズは、ISO 55000(概要、原則及び用語)、ISO 55001(マネジメントシステムの要求事項)、ISO 55002(ISO 55001適用のための指針)の3つの規格で構成されています。ISO 55001の認証を取得することで、組織はアセットマネジメントに対する国際的な取り組み姿勢を示すことができ、異なる組織間での円滑な意思疎通にも寄与します。2024年にはISO 55000とISO 55001の新版が発表され、データ、人材、公共政策に関する新たなガイダンスが追加されるなど、常に進化を続けています。
全体最適志向とリスクベースアプローチ
アセットマネジメントは、個別の設備や部署ごとの最適化に留まらず、組織全体、ひいては社会全体を見据えた「全体最適化」を目指します。そのために、リスクベースアプローチが重要視されます。これは、設備の故障リスクやその影響度を定量的に評価し、具体的な費用値として算出することで、投資の優先順位付けや最適なメンテナンス計画を策定する手法です。これにより、限られた資源の中で、最も効果的かつ効率的な設備運用を実現することが可能となります。
電力流通設備に対するアセットマネジメント事例
送電・配電インフラの現状と高経年化対策
日本の送電・配電インフラは、高度経済成長期に大量に建設された設備が高経年化しており、その対策が急務です。例えば、送電線や鉄塔、変電設備、電柱などが対象となります。これらの設備に対しては、一律の設計寿命に基づく時間ベースのメンテナンス(TBM)から、設備の状態やリスクに基づいたリスクベースメンテナンス(RBM)への移行が進められています。RBMでは、設備の故障確率と故障による影響度を評価し、リスク量を算出することで、優先度の高い設備から計画的に更新や修繕を行います。
変電所や関連インフラのメンテナンス
変電所などの重要インフラのメンテナンスにおいても、アセットマネジメントの導入が進んでいます。設備の高経年化に伴う劣化の進行を把握し、効率的な維持管理計画を策定することが重要です。これにより、大規模な停電などのリスクを低減し、安定した電力供給を維持します。
新技術の活用(デジタルツイン、ドローンなど)
設備の維持管理に新技術を導入する動きも活発です。
- ドローンの活用: 山間部などアクセスしにくい場所にある送電線や鉄塔の点検にドローンを活用することで、巡視・点検作業の効率化と安全性の向上が図られています。撮影した画像をAIで解析し、異常を自動検知する研究も進んでいます。
- デジタルツイン: 設備の物理的な状態をデジタル空間で再現するデジタルツインの活用により、メンテナンス計画の精度向上やコスト低減が期待されています。
- センサー技術とAI: IoTセンサーから得られるデータをAIで解析し、設備の異常予兆を検知することで、計画的な予防保全や運転最適化を実現する取り組みも進められています。
再生可能エネルギー設備のアセットマネジメント
太陽光・風力などの再エネ設備の特徴と課題
再生可能エネルギー(再エネ)の導入が進む中で、太陽光発電や風力発電などの再エネ設備に対するアセットマネジメントの重要性が高まっています。再エネ設備は、自然条件に左右されやすく、設備の不具合や自然災害による投資家収益の毀損リスクがあります。また、固定価格買取制度(FIT制度)の導入により普及が進んだものの、長期安定的な主力電源として持続可能な運用が求められています。特に太陽光発電は、36GW以上が稼働しており、その設備を適切に管理・運用するためにアセットマネジメントサービスが注目されています。
開発フェーズから運用・出口戦略までの流れ
再エネ設備のアセットマネジメントは、開発フェーズから運用、そして出口戦略までの一連の流れをカバーします。
- 開発フェーズ: 開発業務、資金調達業務、地権者・周辺自治体との折衝、EPC事業者との連携、電力会社との系統連系など、事業開始に向けた多岐にわたる支援が行われます。ファンド組成や共同出資者の募集なども含まれます。
- 運用フェーズ: 投資家収益の最大化を目的とし、最適な運用計画を策定・実行します。これには、資金管理、O&M業者への指示・監督、事業計画書・実績報告書の作成、関係者との交渉支援などが含まれます。技術面の問題抽出や迅速な原因分析、住民対応への助言なども行われます。
- 出口戦略: 豊富なリレーション先への売却提案を通じて、投資家収益の最大化を目指します。資産価値の評価や売却価格設定に関する助言、売却先の紹介・選定・仲介なども提供されます。
資産管理・ファンド運営事例
再エネ特化型のアセットマネジメントサービスを提供する企業も増えており、200億円以上のファンド組成や1,000億円以上の資産管理実績を持つ事例もあります。これらのサービスは、資金管理だけでなく、技術的な知見に基づいた運用計画の策定や実行を通じて、投資家収益の最大化に貢献しています。
設備最適化に向けた最新動向とイノベーション
デジタル技術導入の現状(EnergyAPMなど)
電力業界では、デジタル技術を導入した設備最適化が加速しています。
- EAM(Enterprise Asset Management): 設備情報、工事情報、巡視・点検情報などを統合管理し、あらゆる資産の状態を一元的に把握することで、効率的な資産管理と保守を実現します。
- APM(Asset Performance Management): 設備状態をリスク量として定量化し、高経年化対策が必要な設備の故障確率と故障影響度からリスクを算出します。
- AIPM(Asset Investment Planning and Management): APMで算出されたリスク量を基に投資を計画し、リスク量や費用を制約として投資群を最適化します。 これらのシステムを活用することで、電力会社は設備管理の高度化とコスト効率化を両立させています。特定のシステムを導入し、送配電設備のリスク評価に基づいた工事計画策定を支援する事例もあります。
リスクベース・メンテナンス(RBM)の活用
従来の時間ベースのメンテナンス(TBM)から、リスクベース・メンテナンス(RBM)への移行が進んでいます。RBMは、設備の劣化状態や使用環境、故障発生時の影響度などを考慮してリスクを評価し、そのリスクに基づいてメンテナンスの優先順位や時期を決定する手法です。これにより、不要なメンテナンスを削減し、限られたリソースを効果的に配分することで、設備全体のライフサイクルコストを最適化します。
施工力・人材確保の取組み
労働力人口の減少は、電力設備の施工力や人材確保にも影響を与えています。この課題に対応するため、デジタル技術を活用した業務効率化や、技術継承を支援する取り組みが進められています。例えば、MR(複合現実)技術を活用した巡視点検業務アプリの開発や、ドローンによる点検作業の自動化などが挙げられます。これらの技術は、熟練技術者のノウハウを形式知化し、若手人材の早期育成や業務の標準化に貢献します。
電力会社アセットマネジメントの今後の展望
国内外の先進的事例と今後の方向性
国内外では、アセットマネジメントの先進的な取り組みが進められています。海外では、データセンターと発電所を隣接させるオフグリッド型データセンターや、再エネファームをデータセンターに直結するダイレクトファームモデルなどが注目されています。国内でも、電力会社がデータセンター事業に参入し、電力供給だけでなくデジタルインフラ事業者としての役割を担う動きが見られます。今後は、AIの活用による電力需給の最適化や、地域冷暖房への廃熱利用など、電力会社が多様な収益源を確保し、社会インフラとしての価値を最大化する方向へと進化していくと予想されます。
持続可能な設備運用・SDGsとアセットマネジメント
持続可能な開発目標(SDGs)の達成は、電力会社にとって重要な課題です。アセットマネジメントは、効率的な設備運用を通じて、資源の節約や温室効果ガス排出量の削減に貢献します。特に再生可能エネルギー設備の適切な管理は、脱炭素社会の実現に不可欠です。また、設備の高経年化対策は、安全な社会インフラを維持し、人々の生活の質(クオリティオブライフ)向上にも寄与します。
設備価値最大化への道筋
電力会社のアセットマネジメントは、単なる設備の維持管理に留まらず、設備から生み出される価値を最大化することを目指します。これには、以下の要素が重要となります。
- データ駆動型のアプローチ: IoT、AI、ビッグデータ解析を駆使し、設備の稼働データや劣化状況をリアルタイムで把握・分析することで、より精度の高い意思決定を可能にします。
- ライフサイクル全体での最適化: 計画、設計、施工、運用、保守、更新、廃棄といったライフサイクル全体を見据え、初期投資から運用コスト、将来の更新費用までを考慮した戦略的な計画を策定します。
- 組織横断的な連携: 技術部門、財務部門、経営層、そして外部のサービス提供者など、多様なステークホルダーが共通の目標に向かって協力し、アセットマネジメントシステムを効果的に運用することが不可欠です。
まとめ
記事の要点ふり返り
この記事では、電力会社のアセットマネジメントについて、その重要性、現状の課題、基本概念、国際規格、具体的な事例、そして最新の技術動向と今後の展望を幅広く解説しました。
- 日本の電力インフラは高経年化、労働力減少、法制度の変化という課題に直面しており、アセットマネジメントの重要性が増しています。
- アセットマネジメントは、コスト、リスク、パフォーマンスの最適なバランスを追求し、ISO 55000シリーズなどの国際規格に準拠した全体最適志向とリスクベースアプローチが特徴です。
- 送配電設備や変電所などの電力流通設備では、RBMやデジタルツイン、ドローンといった新技術の活用が進み、効率的な維持管理が実現されつつあります。
- 再生可能エネルギー設備においては、開発から運用、出口戦略までの一貫したアセットマネジメントが、安定供給と投資家収益の最大化に不可欠です。
- 今後、デジタル技術のさらなる導入や、データセンター事業への参入など、電力会社は新たな価値創造を目指す「デジタル・ユーティリティ」への進化が期待されます。
今後の課題と読者へのメッセージ
電力会社のアセットマネジメントは、安定した電力供給を維持し、脱炭素社会の実現に貢献するための重要な経営戦略です。今後も、設備の高経年化や技術革新、社会情勢の変化に対応しながら、持続可能な設備運用と設備価値の最大化を追求していく必要があります。
電力業界に携わる皆様には、この記事がアセットマネジメントへの理解を深め、日々の業務における新たな視点やヒントを提供できたなら幸いです。また、一般の皆様にも、電力供給の裏側で進められている重要な取り組みの一端を知るきっかけとなれば幸いです。持続可能な社会の実現に向けて、電力会社のアセットマネジメントは今後ますますその重要性を高めていくことでしょう。











