はじめに
インバウンド需要の回復とホテル市場
2022年10月の水際対策緩和以降、訪日外国人観光客数は顕著に回復し、日本のホテル市場は活況を呈しています。特に東京や大阪では、客室平均単価(ADR)や1日当り販売可能客室数当り宿泊売上(RevPAR)がコロナ禍以前の2019年の水準を上回る地域も見られ、ホテルパフォーマンスは改善傾向にあります。2024年には訪日客数が過去最高の3,690万人に達し、2025年にはさらに増加すると予測されており、ホテル投資市場も好調です。
この記事の目的と読者層
このような市場環境の変化の中で、ホテルオーナーや投資家、オペレーターにとって「ホテルアセットマネジメント」の重要性が高まっています。この記事では、ホテルアセットマネジメントの基本的な知識から、具体的な業務、そして市場動向を踏まえた実践術までを網羅的に解説します。ホテル業界関係者、不動産投資家、ホテルアセットマネジメントを学ぶ学生など、ホテル資産の価値最大化を目指す全ての方を読者層として想定しています。
ホテルアセットマネジメントとは
アセットマネジメントの基本的な役割
ホテルアセットマネジメントとは、一般的にホテルオーナー(投資家)の代理として、ホテルの営業総利益(GOP)の最大化を支援するコンサルティングサービスを指します。ホテル運営に精通したアセットマネージャーがオーナーの代理人となり、オペレーターとの間に立ち、双方の利害を調整しながらホテルブランドの価値向上と収益最大化を支援する役割を担います。
具体的には、以下のような役割があります。
- 独立した専門家としての見識を提供し、オペレーターとの建設的な対話を通じて運用管理を推進する
- 適切な出口戦略を立案・維持しながら、投資リターンと施設の市場価値の最大化を図る
- オペレーションを最適化し、あらゆる事業部門の収益性を高めることでキャッシュフローを最大化する
- オーナーにとって最も費用対効果の高い予算を組み、追加資産を見極めるなど、ROIの最大化を実現する
オーナー/オペレーター視点のアプローチ
ホテルアセットマネジメントは、オーナーとオペレーター双方の視点を取り入れながら、ホテル全体の価値向上を目指します。オーナーは短期的な利益と資産価値の向上を重視する一方、オペレーターは長期的なブランド価値と顧客満足度の向上を重視する傾向があり、両者の間に利害相反が生じることがあります。ホテルアセットマネージャーは、このギャップを埋める「橋渡し役」として、客観的なデータに基づき最適な戦略を提案します。
他業種との違い
一般的な不動産アセットマネジメントと比較して、ホテルアセットマネジメントには以下のような特有の要素があります。
- オペレーショナルアセットとしての特性: ホテルは建物だけでなく、サービスそのものが商品であるオペレーショナルアセットです。そのため、不動産、オペレーション、ファイナンスの知識と高度なバランス感覚が求められます。
- 運営委託契約の多様性: 賃貸借契約、ホテル運営委託契約(HMC)、フランチャイズ契約(FC)など、多様な運営方式が存在し、それぞれオーナーとオペレーターの役割分担やリスク負担が異なります。特にHMCやFCでは、オーナーが経営リスクを負う代わりに収益のアップサイドを狙えるため、アセットマネジメントの重要性が高まります。
- 人件費の高さとサービス品質: ホテル運営において人件費は大きな割合を占め、サービス品質を維持するための人材管理が不可欠です。
市場動向と注目される背景
外資系・国内ホテル市場の変化
日本のホテル市場では、かつては国内オペレーターがオーナーと賃貸借契約を結び運営する形式が一般的でした。しかし、近年は外資系ホテルブランドの誘致が増加しています。外資系ホテルは、世界規模の会員組織による集客力やブランド力で不動産価値の向上が期待できるため、オーナーにとっては魅力的な選択肢です。外資系ホテルが採用するHMCやFC契約では、オーナーが経営リスクを引き受ける代わりに、高い収益が見込めるため、ホテルアセットマネジメントの活用が不可欠となっています。
また、インバウンドの回復など宿泊ニーズの変化に伴い、国内オペレーターも収益最大化を目指す上で、レベニューマネジメントや営業活動の最適化のためにホテルアセットマネジメントに注目し始めています。
インバウンド再拡大のインパクト
2022年10月の水際対策緩和以降、訪日外国人観光客数は急回復し、ホテル市場は大幅な改善を見せています。2024年には訪日客数が2019年を上回り、2025年もその勢いは続く見込みです。特に中国人観光客の回復がホテル投資市場を下支えしており、この需要を取り込むために、ホテルは多様な宿泊ニーズに対応する必要があります。
ESGやサステナビリティへの対応
近年、ホテル投資においてもESG(環境・社会・ガバナンス)やサステナビリティへの対応が重視されています。持続可能な開発目標(SDGs)への取り組みは、企業の社会的責任としてだけでなく、長期的な資産価値の維持・向上にも不可欠です。ホテルアセットマネジメントは、環境負荷の低減、地域社会への貢献、従業員の働きがい向上など、ESGの観点からもホテル運営を最適化する役割を担います。
ホテルアセットマネジメントの主な業務とサービス
年度予算交渉・承認
ホテル運営委託契約(HMC)やフランチャイズ契約(FC)では、オペレーターが策定した年度予算計画をオーナーが承認するのが一般的です。ホテル運営に不慣れなオーナーの場合、予算案の適正性を判断することが難しいことがあります。ホテルアセットマネージャーは、多種多様なデータを活用したベンチマーク評価により、予算計画を精査し、費用対効果を検証。部門別・項目別の費用を適正化し、収益最大化に向けた改善点を策定・実行支援します。
運営パフォーマンスのモニタリング
ホテルの運営パフォーマンスは、客室平均単価(ADR)、客室稼働率(OCC)、販売可能客室数当り宿泊売上(RevPAR)といった主要指標に加え、マーケット浸透度指数、予約1件当りのマーケティングコスト、直接予約率、ウェブコンバージョン率など、様々な指標を用いて継続的にモニタリングされます。アセットマネージャーはこれらのデータ分析を通じて、ホテルの強み・弱みを把握し、改善策を提案します。
契約・交渉業務のポイント
ホテル運営委託契約(HMC)はオペレーターが契約内容を策定する傾向が強く、オーナーにとって不利な条項が含まれるケースも少なくありません。ホテルアセットマネージャーは、運営予算の設定に関する権利、総支配人の任命権、運営パフォーマンス悪化時の中途解約権、マネジメントフィーの料率、修繕・改装の投資対効果(ROI)の妥当性など、契約内容の整合性を精査し、オーナーとオペレーター双方にとって納得のいく形に調整します。
Capex(資本的支出)計画と費用対効果評価
Capex(資本的支出)とは、建物や設備の維持・更新、リノベーションなどにかかる費用です。外資系ホテルオペレーターは総支配人が物件個々にバリューアップ戦略を提案することが多く、年間売上の数%分の予算を組むのが一般的です。ホテルアセットマネージャーは、当該設備の故障リスクと費用対効果などを精査し、Capexの妥当性を確認します。国内オペレーターの場合、本部主導でポートフォリオ全体を鑑みたバリューアップ投資戦略が策定されることが多いため、個々の物件に最適なバリューアッププランの策定も支援します。
投資ライフサイクルとアセットマネジメントの役割
取得・保有・売却における管理業務
ホテルアセットマネジメントは、ホテルの投資ライフサイクル全般において重要な役割を担います。
- 取得時: 実行可能性の確認、市場調査、デューデリジェンス(事業性評価)、オペレーター・ブランド選定支援、契約交渉(HMC、FCなど)における金融機関との関連業務アシストなど。
- 保有期間中: 年度予算の承認、月次報告・予実管理、設備投資マネジメント、保険の適切な運用、金融機関との関係業務アシスト(契約上の義務履行を含む)などによる資産価値向上モニタリング。
- 売却時: 市場価値の最大化を図るための戦略立案と実行支援。
バリューアップ・運用最適化の具体策
ホテルアセットマネージャーは、運営パフォーマンスのモニタリング分析に基づき、KPIに沿った改善施策を提案します。具体的には、以下のようなバリューアップ・運用最適化策があります。
- レベニューマネジメントの最適化: 需要予測に基づき、宿泊単価(ADR)や稼働率(OCC)を最大化するための価格戦略、販売チャネル戦略を策定します。
- リノベーション計画と実行支援: ADR改善に向けたリノベーション工事プランの策定や、費用対効果の高い設備投資の実行を支援します。
- デューデリジェンス: ホテル投資時の詳細な調査・分析を行い、潜在的なリスクや収益性向上ポテンシャルを評価します。
- ブランド差別化戦略の提案: 競合との差別化を図るためのサービス改善やブランディング戦略を立案・実行支援します。
期中管理と運営成績改善のアプローチ
保有期間中の管理では、オペレーターから提出される月次報告のレビューや、予算と実績の差異分析が不可欠です。アセットマネージャーは、宿泊、料飲、宴会、婚礼、その他部門、さらには一般管理費、セールス・マーケティング費、修繕費、光熱費などの非配賦部門に至るまで、詳細な財務分析を行い、収益性の改善に向けた具体的な施策を提案します。
ホテル分野特有のリスクと課題
人材・ブランド・立地のリスク管理
ホテル運営においては、以下のような特有のリスクと課題が存在します。
- 人材不足: ホテル業界は労働集約型産業であり、慢性的な人手不足が課題となっています。特にコロナ禍での離職により深刻化しており、労働環境の改善やIT活用による業務効率化が求められます。
- ブランド価値の維持: ホテルブランドは集客力に直結するため、その価値を維持・向上させる必要があります。外資系ホテルブランドの導入が増える一方で、ブランドロイヤリティ料の支払いと収益貢献のバランスが課題となることもあります。
- 立地特性への対応: 都市部、リゾート地、地方など、立地によって客層や需要が大きく異なります。それぞれの立地特性に応じたマーケティング戦略やサービス提供が不可欠です。
- 社会情勢や景気変動: ホテル業は景気や社会情勢(災害、感染症など)の影響を受けやすく、稼働率や収益が大きく変動するリスクがあります。
利害相反や契約関係の調整
ホテル運営委託契約(HMC)やフランチャイズ契約(FC)においては、オーナーとオペレーターの間で利害相反が生じやすい構造があります。オーナーは短期的な利益最大化を求める一方、オペレーターはブランド価値の維持や長期的な顧客満足度を重視するため、運営方針や投資方針が異なることがあります。アセットマネージャーは、契約内容の精査や交渉を通じて、双方の利害を調整し、オーナーの利益を最大化するよう努めます。
市場変化への柔軟な対応
宿泊客のニーズは常に変化しており、これに対応するためには柔軟な戦略が必要です。例えば、インバウンド需要の回復により、多言語対応や多様な文化への配慮が重要になります。また、ワーケーションや長期滞在など新しい宿泊スタイルへの対応も求められます。ホテルアセットマネジメントは、市場の変化を的確に捉え、バリューアップ計画やブランド差別化戦略を適宜アップデートしていく必要があります。
差別化戦略としてのホテルアセットマネジメント
サービス品質・運営効率化による競争力強化
ホテルアセットマネジメントは、激化する競争環境において、ホテルの競争力を強化するための差別化戦略として機能します。
- サービス品質の向上: 顧客管理システム(PMS)などを活用して顧客情報を一元管理し、個々の顧客の好みや滞在履歴に基づいたパーソナライズされたサービスを提供することで、顧客満足度とリピート率を高めます。
- 運営効率化: ホテル管理システム(PMS)やサイトコントローラーの導入により、予約管理、フロント業務、清掃管理、会計処理などを自動化・効率化します。これにより、人手不足の解消、ヒューマンエラーの削減、スタッフの業務負担軽減、顧客対応時間の増加を実現し、サービス品質の向上につなげます。
オーナーとオペレーターの協調と専門性活用
ホテルアセットマネジメントの成功には、オーナーとオペレーターの協調が不可欠です。アセットマネージャーは、両者の間に立ち、コミュニケーションを円滑化し、互いの専門性を最大限に活用できる環境を構築します。オペレーターの運営ノウハウとオーナーの投資戦略を融合させることで、ホテル全体のパフォーマンスを向上させます。
成功事例・ケーススタディ(個社名なし)
あるホテルでは、アセットマネジメントの導入により、開業準備段階から運営体制に関するアドバイスを受け、綿密な市場調査に基づいた人員配置計画を策定しました。投資家の意見調整や、開業準備段階で想定される課題への事前対応を行うことで、スムーズな開業を実現しました。また、別のホテルでは、ホテル管理システム(PMS)の導入により、フロント・予約業務の効率化やデータに基づく販売指示が可能となり、需要予測の高度化が実現しました。これにより、スタッフの業務負担が軽減され、顧客満足度と収益性の向上に成功しました。
まとめ
今後の展望とホテルアセットマネジメントの重要性
インバウンド需要の再拡大とホテル投資市場の活況は、日本のホテル業界に新たな機会をもたらしています。しかし、その一方で、建築費の高騰、人手不足、多様化する顧客ニーズ、そして国内外の競争激化といった課題も存在します。このような環境下でホテル資産の価値を最大化し、持続可能な経営を実現するためには、専門的な知見と客観的な視点を持つホテルアセットマネジメントの役割がますます重要になります。
ホテル投資を検討するうえでのポイント
ホテル投資を検討する際には、以下のポイントを押さえることが重要です。
- アセットマネジメントの活用: 投資ライフサイクル全般にわたり、専門家によるアセットマネジメントを活用することで、リスクを低減し、収益最大化を目指せます。
- 市場動向の正確な把握: インバウンド需要、新規供給量、ホテルパフォーマンスといった市場動向を正確に把握し、投資判断に活かしましょう。
- 多様なホテルカテゴリーへの注目: アパートメントホテルなど、新たな宿泊ニーズに対応する高利益率体質のホテルカテゴリーへの投資も視野に入れると良いでしょう。
- テクノロジーの積極的な導入: ホテル管理システム(PMS)などのITツールを導入し、業務効率化とサービス品質向上を両立させることで、競争力を強化できます。
ホテルアセットマネジメントは、複雑化するホテル経営において、オーナーの利益を守り、資産価値を向上させるための羅針盤となるでしょう。















