SaaSの成長性を判断する際は、新規顧客の獲得額だけでなく、既存顧客からの売上が維持・拡大しているかを確認する必要があります。その中心となる指標がNRRです。本記事では、NRRの意味、計算式、集計時のルール、評価方法、改善施策までを解説します。
NRRとは何か
NRRの意味と売上維持率の考え方
NRRはNet Revenue Retentionの略で、日本語では売上維持率や売上継続率と呼ばれます。期初時点で契約していた既存顧客からの売上が、一定期間後にどの程度維持・拡大したかを示す指標です。
NRRでは、既存顧客のアップセルやクロスセルによる売上増加を加え、ダウングレードや解約による売上減少を差し引きます。新規顧客からの売上は含めません。新規獲得の成果ではなく、既存顧客基盤そのものの健全性を測るためです。
SaaSビジネスでNRRが重要な理由
SaaSは、契約後も継続して利用料を得るビジネスです。そのため、契約を獲得した後に顧客が利用を続け、利用範囲を広げる仕組みが成長の土台になります。
NRRを確認すると、新規顧客の獲得にどの程度依存しているかが分かります。全体のMRRやARRが増加していても、既存顧客の売上が減り続けている場合は、新規顧客で流出分を補っている状態です。NRRは、このような見かけ上の成長を見分けるために役立ちます。
NRRが100%を上回る・下回る場合の意味
NRRが100%を上回る場合、既存顧客からの売上増加が、縮小や解約による減少を上回っています。新規顧客を獲得しなくても、既存顧客だけで売上が成長する構造です。
NRRが100%の場合は、既存顧客からの売上をおおむね維持できている状態です。一方、100%を下回る場合は、既存顧客からの売上が純減しています。この状態では、全体売上を維持・成長させるために、新規顧客の獲得で減少分を補い続けなければなりません。
NRRで把握できる事業の成長性
NRRは、顧客が継続的に価値を感じているか、利用規模を広げる余地があるかを示す指標です。高いNRRは、解約が少ないだけでなく、上位プランへの移行、利用者数の増加、追加機能の契約などが起きていることを意味します。
ただし、NRR単体で事業を判断することは避けるべきです。一部の大口顧客による売上拡大が全体の数値を押し上げている場合もあります。顧客規模、料金プラン、業種、獲得時期などで分けて確認することが重要です。
NRRと関連指標の違い
NRRとMRR・ARRの違い
MRRはMonthly Recurring Revenueの略で、月次経常収益を指します。毎月繰り返し得られる収益の金額を示す指標です。ARRはAnnual Recurring Revenueの略で、年間経常収益を指します。一般的には、MRRを12倍してARRを算出します。
MRRやARRが売上の規模を表すのに対し、NRRは既存顧客売上の維持・拡大率を表します。月額契約が中心の事業ではMRRで日々の変化を追い、年間契約が中心の事業ではARRで経営計画や契約更新を管理するケースが多くあります。
NRRとGRRの違い
GRRはGross Revenue Retentionの略で、総収入維持率を指します。NRRとの違いは、アップセルやクロスセルによる売上増加を含めない点です。
GRRは、解約とダウングレードによる売上減少だけを反映します。そのため、GRRの上限は100%です。NRRが既存顧客からの純粋な成長力を示すのに対し、GRRは既存売上をどれだけ守れているかを示します。
NRRが高くてもGRRが低い場合は注意が必要です。一部の顧客のアップセルで売上減少を補えている可能性があり、顧客基盤としては不安定な場合があります。
NRRと顧客維持率・解約率の違い
顧客維持率は、顧客社数を基準に、どれだけの顧客が契約を続けたかを見る指標です。解約率は、その反対に、どれだけの顧客が解約したかを示します。
NRRは顧客数ではなく売上金額を基準にします。低単価の顧客が複数解約しても、高単価の顧客が契約を拡大すればNRRは高くなることがあります。反対に、少数でも大口顧客が解約すると、顧客維持率の変化は小さくてもNRRは大きく下がります。
顧客数ベースの指標と売上ベースの指標は、併用して確認することが重要です。
NRRを構成するアップセル・縮小・解約
NRRは主に次の要素で構成されます。
- Expansion MRR:既存顧客の売上増加分です。上位プランへの変更、利用者数の追加、オプション契約、利用量の増加などが該当します。
- Contraction MRR:既存顧客が契約を続けながら、プラン変更や利用者数削減によって売上が減少した分です。
- Churn MRR:顧客の解約によって失われた売上です。
- New MRR:新規顧客から得た売上です。全体のMRR成長には含まれますが、NRRの計算には含めません。
NRRの計算式と具体例
NRRの基本計算式
NRRの基本計算式は次の通りです。
- NRR = (期初MRR + Expansion MRR - Contraction MRR - Churn MRR)÷ 期初MRR × 100
年次で管理する場合は、MRRをARRに置き換えて同じ考え方で算出できます。重要なのは、分母となる期初売上と、分子に含める顧客群を一致させることです。
計算に含める売上と除外する売上
NRRには、継続的に得られるサブスクリプション売上を含めます。月額利用料、年額契約を月割りした利用料、継続的なオプション料金、継続型の従量課金などが対象です。
一方、初期費用、導入支援費用、スポットのコンサルティング費用、一度限りの追加開発費用などは、通常は除外します。これらを含めると、継続収益の維持・成長を測るというNRR本来の目的が損なわれるためです。
アップセル・クロスセルを含めた計算例
期初MRRが1,000万円で、対象期間中に既存顧客から次の変動があったとします。
- アップセル・クロスセルによる増加:150万円
- ダウングレードによる減少:30万円
- 解約による減少:50万円
この場合、NRRは次のように計算できます。
- NRR = (1,000万円 + 150万円 - 30万円 - 50万円)÷ 1,000万円 × 100
- NRR = 107%
既存顧客からの売上は、対象期間で7%増加したことになります。新規顧客売上がなくても、既存顧客だけで売上を伸ばせている状態です。
値引き・ダウングレード・解約がある場合の計算例
期初MRRが800万円で、既存顧客の売上変動が次の通りだったとします。
- アップセルによる増加:60万円
- 契約更新時の値引きによる減少:20万円
- ダウングレードによる減少:30万円
- 解約による減少:70万円
この場合、値引きは売上減少として扱います。
- NRR = (800万円 + 60万円 - 20万円 - 30万円 - 70万円)÷ 800万円 × 100
- NRR = 92.5%
NRRは100%を下回っています。アップセルは発生しているものの、値引き、縮小、解約による減少を補えていない状況です。
NRRが100%を超えるネガティブチャーンの考え方
ネガティブチャーンとは、既存顧客の売上増加が、解約と縮小による売上減少を上回っている状態です。売上ベースの純解約率がマイナスになるため、このように呼ばれます。
- 純解約率 = (Churn MRR + Contraction MRR - Expansion MRR)÷ 期初MRR × 100
この数値がマイナスであれば、ネガティブチャーンです。NRRでは100%超として表れます。ただし、無理な値上げや顧客ニーズに合わない追加提案で一時的に数値を上げても、長期的な解約につながる可能性があります。顧客の成果と売上増加が連動していることが前提です。
NRRを正しく集計するための実務ルール
月次NRRと年次NRRの使い分け
月次NRRは、解約や縮小の兆候を早く把握し、施策の効果を確認するために役立ちます。ただし、年額契約の更新月に売上変動が集中する場合、単月の数値だけでは実態を判断しにくくなります。
年次NRRは、季節変動や契約更新タイミングの影響をならして、既存顧客基盤の中長期的な成長を確認する際に適しています。実務では、月次で変化を監視しつつ、四半期や年次で傾向を評価する方法が有効です。
月額契約・年額契約・従量課金の集計方法
月額契約は、契約中の月額利用料をそのままMRRとして計上します。年額契約は、年間契約額を12で割り、月額換算してMRRにそろえる方法が一般的です。
従量課金は、継続的な利用に伴って発生する収益であればNRRに含められます。ただし、一時的な利用増加なのか、継続的な利用拡大なのかを区別するルールが必要です。月ごとの請求額だけで判断すると変動が大きくなるため、複数月の平均値や契約上の最低利用額を基準にする運用も考えられます。
新規顧客売上をNRRに含めない理由
NRRの目的は、期初に存在していた顧客群が、どれだけ売上を維持・拡大したかを測ることです。新規顧客売上を含めると、新規営業の成果によって既存顧客の解約や縮小が見えにくくなります。
新規顧客を含めた売上成長は、MRR成長率、ARR成長率、Net New MRRなどで管理します。NRRと新規売上の指標を分けることで、既存顧客と新規顧客のどちらに課題があるかを判断しやすくなります。
休眠顧客・一時停止・再契約の扱い
休眠や一時停止の扱いは、あらかじめ定義を統一する必要があります。契約が継続していて最低利用料が発生している場合は、その金額を継続売上として扱います。無償停止や請求停止となっている場合は、通常、縮小または解約相当として扱います。
過去に解約した顧客が再契約した場合は、Reactivation MRRとして別に記録するとよいでしょう。NRRに含めるかどうかは社内ルールによりますが、少なくとも新規売上と混在させないことが重要です。
顧客単位と契約単位のどちらで集計するか
複数部署や複数サービスを利用する顧客がいる場合、顧客単位で集計するか、契約単位で集計するかを決める必要があります。事業全体の既存顧客価値を把握するなら、同一企業の契約をまとめる顧客単位が適しています。
一方、サービス別の継続率や部門別の契約状況を分析したい場合は、契約単位での集計も有効です。どちらを採用する場合も、途中で集計単位を変えると時系列比較ができなくなるため、定義を文書化して運用します。
NRRの目安と自社評価の方法
NRRの水準別に見る評価の考え方
一般的には、NRR100%以上が既存顧客売上を維持・拡大できている目安です。110%以上であれば、既存顧客の拡大が成長に寄与している状態と考えられます。120%以上は高い水準とされますが、顧客層や価格モデルによって実現しやすさは異なります。
一方、100%未満だからといって、直ちに事業全体が不健全とは限りません。SMB向けの低単価サービスや、アップセルの余地が少ないサービスでは、NRR100%超を継続する難易度が高い場合があります。
顧客規模と契約形態による違い
顧客規模が大きいほど、利用部署の拡大、利用者数の追加、追加機能の導入といった売上拡大の余地が大きくなる傾向があります。年間契約や複数年契約が中心の場合は、解約率も比較的低くなりやすいと考えられます。
反対に、月額契約で導入や解約のハードルが低い場合は、売上変動が起きやすくなります。NRRを比較する際は、顧客規模、契約期間、課金方式、提供価値の広がりを踏まえることが必要です。
SMB向けと大企業向けSaaSの傾向
SMB向けSaaSは、顧客数が多い一方で、1社あたりの契約規模や拡大余地が限られる場合があります。セルフサービスで利用できる仕組みや、利用者数・利用量に連動する料金体系がNRR改善の鍵になります。
大企業向けSaaSは、組織内の横展開や複数部門への導入によって売上を拡大しやすい一方、導入・更新・追加契約の意思決定に時間がかかる傾向があります。契約更新前からの計画的な支援と、決裁者への成果報告が重要です。
自社の過去推移と比較する重要性
外部の目安は参考になりますが、最も重要なのは自社の過去推移です。NRRが前期より改善しているのか、悪化しているのか、どの要素が変化しているのかを確認します。
特に、Expansion MRR、Contraction MRR、Churn MRRを別々に追うことが重要です。NRRが横ばいでも、解約増加をアップセル増加で補っている場合と、解約減少によって安定している場合では、取るべき施策が異なります。
NRRとGRRを組み合わせた課題の見つけ方
NRRとGRRを並べて確認すると、課題の場所を把握しやすくなります。
- NRRが低く、GRRも低い場合は、解約や縮小への対策を優先します。
- NRRが低く、GRRが高い場合は、顧客維持はできているため、アップセルやクロスセルの仕組みを見直します。
- NRRが高く、GRRが低い場合は、アップセルで流出を補っている可能性があります。解約・縮小の原因を確認します。
- NRRとGRRがともに高い場合は、顧客維持と拡大が両立している状態です。
NRRを改善するための施策
解約を減らすオンボーディングと利用定着の支援
NRR改善の土台は、顧客が導入初期に価値を実感できる状態をつくることです。契約直後に導入目的、成功条件、利用開始までの担当分担を確認し、初期設定や主要機能の活用を支援します。
顧客ごとに成果の定義が異なる場合は、利用開始時に目標を共有することが重要です。導入後に何を達成できれば成功なのかを明確にし、定期的に進捗を確認することで、利用停滞や期待値のずれを早期に把握できます。
解約や縮小の予兆を把握する仕組み
解約やダウングレードの前には、ログイン頻度の低下、主要機能の未利用、利用者数の減少、問い合わせ内容の変化、担当者の異動などの兆候が現れることがあります。
これらの情報をもとに顧客の状態を把握し、リスクが高い顧客を早めに抽出する仕組みをつくります。顧客ごとの利用状況、契約更新日、問い合わせ履歴、商談履歴を集約し、対応の優先順位を決めることが有効です。
アップセル・クロスセルにつながる提案設計
アップセルやクロスセルは、単に上位プランを勧める活動ではありません。顧客がすでに得ている成果と、次に解決すべき課題を踏まえて提案する必要があります。
利用者数が契約上限に近い、特定機能の利用頻度が高い、他部署への展開要望があるといった状況は、追加提案の機会になり得ます。顧客の利用状況と事業課題を確認し、追加契約によって得られる効果を具体的に示すことが重要です。
価格・料金プラン・契約更新条件の見直し
料金プランに拡張の余地がない場合、顧客満足度が高くてもNRRを上げにくくなります。利用者数、利用量、機能、サポート範囲などを基準に、顧客の成長に応じて自然に利用料が増える設計を検討します。
ただし、価格改定や既存顧客への値上げは慎重に進める必要があります。価値の説明が不足したまま価格だけを上げると、縮小や解約につながる可能性があります。顧客が得ている成果を明確にし、十分な告知期間や移行支援を設けることが重要です。
営業・カスタマーサクセス・事業部門でのKPI運用
NRRは、カスタマーサクセスだけで完結する指標ではありません。顧客に合わない受注が増えれば将来の解約につながり、プロダクトの使いやすさや機能不足も継続率に影響します。
営業は受注前に顧客課題や期待値を正確に共有し、カスタマーサクセスは利用定着と成果創出を支援します。事業部門やプロダクト部門は、解約理由や縮小理由を改善に反映します。各部門がNRR、GRR、解約理由、拡大案件の状況を共通のデータで確認することで、継続的な改善につながります。
NRRを運用する際は、全社で同じ定義を用いることが重要です。期初顧客の範囲、値引きの扱い、休眠・再契約の扱い、年額契約の月割り方法などを明確にし、定期的に見直しましょう。正確な集計と構成要素ごとの分析を続けることで、NRRは事業の成長課題を見つける実用的な指標になります。










