犯罪収益移転防止法は、マネー・ローンダリングやテロ資金供与などを防ぐために、一定の事業者へ取引時確認、記録の保存、疑わしい取引の届出などを求める法律です。口座開設や不動産売買などで本人確認書類の提示を求められるのは、この法律に基づく対応の一つです。
なお、具体的な確認方法や必要書類は、事業者の業種、取引の内容、対面か非対面かなどによって異なります。2027年4月には本人確認方法に関する施行規則の改正も予定されているため、事業者は最新の法令や所管官庁の案内を確認する必要があります。
犯罪収益移転防止法の目的と対象
犯罪収益移転防止法とは
犯罪収益移転防止法の正式名称は、「犯罪による収益の移転防止に関する法律」です。一般に「犯収法」と呼ばれることもあります。
この法律では、金融機関、不動産会社、宝石・貴金属等取扱事業者、一定の士業者などを特定事業者と位置付けています。特定事業者は、対象となる取引を行う際、顧客が誰であるか、何のために取引をするのかなどを確認し、確認結果を記録・保存する必要があります。
マネー・ローンダリングやテロ資金供与を防ぐ目的
マネー・ローンダリングとは、犯罪で得た資金について、口座間の送金や不動産・貴金属等の売買を繰り返すことで、出所や所有者を分かりにくくする行為です。資金洗浄とも呼ばれます。
テロ資金供与は、テロ行為を行う組織や人物へ資金を提供・集める行為です。架空名義の口座や通常の取引に見せかけた資金移転が利用されることがあります。
本人確認や取引記録の保存を通じて、資金の流れを後から追える状態にしておくことが、犯罪収益の発見や剥奪につながります。こうした対策は日本だけでなく、国際的にも進められています。
本人確認が求められる理由
犯収法上の本人確認は、単に身分証を確認する作業ではありません。法律上は「取引時確認」といい、本人特定事項に加え、取引目的、職業または事業内容などを確認する手続きです。
取引相手が実在する本人・法人であるか、なりすましではないかを確かめるとともに、取引内容が顧客の属性や目的に照らして不自然ではないかを判断する材料を得ることが目的です。そのため、本人確認書類を提出しただけで、すべての確認が終わるとは限りません。
法律の対象となる特定事業者
特定事業者には、銀行、証券会社、保険会社、資金移動業者、暗号資産交換業者などの金融機関等が含まれます。このほか、ファイナンスリース事業者、クレジットカード事業者、宅地建物取引業者、宝石・貴金属等取扱事業者なども対象です。
また、郵便物受取サービス、電話受付代行、電話転送サービスを提供する事業者や、司法書士、行政書士、公認会計士、税理士、弁護士なども、一定の業務において対象となります。
ただし、特定事業者に該当するからといって、すべての業務・取引で取引時確認が必要になるわけではありません。各業種で定められた特定業務のうち、特定取引等に該当するかを確認することが重要です。
本人確認が必要になる取引
取引時確認が必要な特定取引とは
特定取引とは、犯収法により取引時確認が必要とされる取引です。対象となる取引は業種ごとに定められており、口座開設、融資契約、不動産売買契約、一定額を超える現金取引などが代表例です。
また、通常の取引であっても、なりすましや虚偽の疑いがある場合には、特別の注意を要する取引として、より厳格な確認が求められることがあります。
金融機関で本人確認が必要になる主な場面
金融機関では、預貯金口座の開設、貸金庫や保護預かりの取引開始、融資取引などで取引時確認が行われます。クレジットカードの契約締結も対象となる代表的な場面です。
現金取引については、200万円を超える現金または持参人払式小切手の受払い、10万円を超える現金による振込みなどで確認が必要になる場合があります。もっとも、電気・ガス・水道料金の支払いや、一定の学校への入学金・授業料の支払いには例外が設けられています。
不動産取引や士業との取引で本人確認が必要になる場面
宅地建物取引業者では、宅地・建物の売買契約の締結や、その代理・媒介が取引時確認の対象です。一般的な賃貸借の媒介まで、一律に犯収法上の特定取引となるわけではありません。
士業者についても、すべての依頼が対象ではありません。例えば、宅地・建物の売買、会社等の設立・管理・運営、一定額を超える財産の管理または処分に関する手続きの代理など、法令で定められた業務が対象になります。
貴金属などの高額取引で本人確認が必要になる場面
宝石・貴金属等取扱事業者では、代金を現金で支払う200万円を超える宝石・貴金属等の売買契約が、取引時確認の対象です。対象には、金、白金、銀などの貴金属や、それらを用いた製品、ダイヤモンド、真珠などの宝石が含まれます。
取引時確認が必要になるかは、品物の種類だけではなく、支払方法や金額も関係します。古物営業法や質屋営業法に基づく本人確認とは別の制度であるため、混同しないよう注意が必要です。
すべての取引で本人確認が必要になるわけではない
犯収法の取引時確認は、特定事業者が行うすべての取引に一律で必要となるものではありません。事業者の種類、取引の内容、金額、継続的な取引関係の有無などを踏まえて判断します。
例えば、金融機関にすでに口座がある場合でも、新たな口座開設や融資取引では、改めて確認が必要になることがあります。過去に確認を受けた経験だけを理由に、常に確認が省略されるわけではありません。
取引時確認で確認する内容
個人に確認する本人特定事項
個人に対する本人特定事項は、氏名、住居、生年月日です。運転免許証やマイナンバーカードなどの本人確認書類を用いて、これらの情報を確認します。
代理人が取引を行う場合は、顧客本人だけでなく、実際に手続きを行う代理人の氏名、住居、生年月日も確認します。あわせて、代理人が本人のために取引を行う権限を持つことも確認対象です。
法人に確認する本人特定事項
法人の本人特定事項は、名称と本店または主たる事務所の所在地です。登記事項証明書、印鑑登録証明書などを用いて確認する方法が一般的です。
法人との取引では、法人そのものの確認と、実際に取引を担当する人の確認を分けて行います。法人の書類を確認しただけでは、来店者やオンライン申込の担当者が取引を行う権限を持つことまで確認したことにはなりません。
取引の目的と職業・事業内容の確認
個人の場合、本人特定事項に加えて、取引を行う目的と職業を確認します。法人の場合は、取引目的と事業内容を確認します。
取引目的は、顧客または代表者等から申告を受ける形で確認することが基本です。一方、法人の事業内容は、定款や登記事項証明書など、事業内容を確認できる書類により確認する方法が定められています。
法人の実質的支配者の確認
実質的支配者とは、法人の経営を実質的に支配できる立場にある者です。法人名や代表者名だけでは、実際に法人を支配している人を把握できない場合があるため、確認が求められます。
株式会社などの資本多数決法人では、原則として議決権の25%を超えて保有する者が確認の対象になります。50%を超える議決権を保有する者がいる場合は、その者が実質的支配者となります。法人の種類や支配関係によって判断が異なるため、個別の確認が必要です。
追加確認が必要になるハイリスク取引
なりすましの疑いがある取引、過去に確認した情報が虚偽だった疑いがある顧客との取引、特定国に関係する取引、外国の重要な公的地位にある者に関係する取引などは、ハイリスク取引として扱われます。
ハイリスク取引では、通常より厳格な方法で本人特定事項や実質的支配者を確認します。また、200万円を超える財産の移転を伴う場合には、疑わしい取引かどうかを判断するため、資産・収入の状況について追加確認が必要になることがあります。
本人確認の方法と必要書類
対面で本人確認を行う方法
対面での確認では、窓口や店舗などで本人確認書類の原本を提示してもらい、書類の記載内容と申告内容を確認する方法が基本です。顔写真付き書類であれば、書類の写真と来店者の容貌も照合します。
顔写真がない書類を用いる場合は、別の本人確認書類や補完書類の提示、取引関係文書の転送不要郵便による送付など、追加の確認が必要になることがあります。
非対面で本人確認を行う方法
非対面での確認には、本人確認書類の送付、ICチップ情報の読み取り、他の特定事業者への照会、公的個人認証の利用、転送不要郵便の組み合わせなど、複数の方法があります。
オンラインで完結する本人確認は、一般にeKYCと呼ばれます。ただし、オンラインで書類画像を受け取るだけでは、犯収法上の要件を満たさない場合があります。利用する方式が法令上認められた確認方法に該当するか、施行時期を含めて確認する必要があります。
個人の本人確認に使える主な書類
個人の本人確認書類としては、運転免許証、運転経歴証明書、マイナンバーカード、在留カード、特別永住者証明書、旅券などが代表例です。顔写真付きの書類は、対面確認で利用しやすい書類です。
顔写真がない書類には、資格確認書、年金手帳、住民票の写し、戸籍の附票の写しなどがあります。ただし、利用できる書類や必要な追加措置は、確認方法によって異なります。健康保険証は本人確認書類から削除されており、経過措置も終了しているため、現在は利用できません。
法人の確認に必要となる主な書類
法人の本人特定事項の確認には、登記事項証明書、印鑑登録証明書、法人の名称と本店または主たる事務所の所在地が記載された官公庁発行書類などを用います。
法人の事業内容を確認する際には、定款、登記事項証明書、法令に基づいて作成された書類などを確認します。取引担当者が法人の代表者ではない場合には、委任状などにより取引権限を確認することも必要です。
本人確認書類の有効期限や記載内容の注意点
有効期限がある書類は、確認時点で有効でなければなりません。有効期限がない書類は、原則として提示・送付を受ける日前6か月以内に作成・発行されたものが求められます。
書類に記載された住所と現在の住所が異なる場合や、必要な情報が記載されていない場合には、補完書類の提出を求められることがあります。マイナンバーカードを利用する場合は、本人確認に不要な個人番号を取得・保管しないよう、情報の取扱いにも注意が必要です。
本人確認から取引開始までの基本の流れ
対象となる取引かを確認する
事業者はまず、自社が特定事業者に該当するか、行う業務が特定業務に該当するかを確認します。次に、個別の取引が取引時確認を必要とする特定取引等に該当するかを判断します。
取引内容だけでなく、取引金額、現金の有無、顧客の属性、過去の取引状況なども判断材料となります。判断基準を担当者ごとに変えないため、社内規程や確認手順を整備しておくことが重要です。
必要な本人確認書類を案内・提出する
取引時確認が必要な場合、顧客に対して、取引方法に応じた本人確認書類や補完書類を案内します。対面、郵送、オンラインのいずれで確認するかにより、必要な書類や提出方法は変わります。
法人の場合は、法人の書類に加え、実際に取引を行う代表者・担当者の本人確認書類や、取引権限を確認する書類が必要になることがあります。
本人特定事項と取引目的を確認する
書類の確認では、氏名、住所、生年月日、法人名、本店所在地などを確認します。書類の有効性、住所変更の有無、申込情報との一致も確認が必要です。
あわせて、取引目的、個人の職業、法人の事業内容、実質的支配者などを確認します。不自然な点や申告内容との不一致がある場合は、追加資料の提出や社内での確認が必要になることがあります。
確認結果を記録して取引を開始する
取引時確認を実施した場合、事業者は遅滞なく確認記録を作成します。確認した事項だけでなく、確認方法、確認した担当者、確認日なども記録対象です。
必要な確認が完了し、疑わしい点が解消された後に取引を開始します。記録は後日の確認や、疑わしい取引の判断にも使われるため、検索・参照しやすい状態で管理することが求められます。
追加確認や取引を断る必要があるケース
本人確認書類が不足している場合、書類の有効性に疑問がある場合、申告内容に矛盾がある場合などは、追加確認が必要です。ハイリスク取引に該当する可能性がある場合も、通常より厳格な確認を行います。
必要な確認に応じてもらえない場合や、なりすまし・犯罪収益の隠匿などの疑いを解消できない場合、事業者は取引を開始しない、または取引を継続しない判断が必要になることがあります。
事業者に求められる記録保存と届出
確認記録と取引記録の違い
確認記録は、取引時確認をどのように実施したかを残す記録です。顧客の本人特定事項、確認方法、確認に使用した書類、確認日、確認担当者などを記録します。
取引記録は、実際に行われた取引の内容を残す記録です。取引日、取引の種類、財産の価額、財産の移転元・移転先などを記録します。両者を検索情報で結び付け、取引と顧客確認の関係をたどれる状態にしておく必要があります。
記録の保存期間と管理上の注意点
確認記録と取引記録等は、原則として7年間保存します。ただし、保存期間の起算点は同じではありません。確認記録は、特定取引等に係る契約が終了した日などを基準とし、取引記録等は原則として取引が行われた日を基準とします。
保存期間中は、必要なときに記録を検索・確認できるように管理します。個人情報や法人情報を含むため、閲覧権限の設定、不正アクセス対策、廃棄手順などもあわせて整備することが重要です。
疑わしい取引とは
疑わしい取引とは、取引で受け取る財産が犯罪収益である疑いがある場合や、顧客がなりすまし・犯罪収益の隠匿を行っている疑いがある場合などを指します。
判断では、取引金額だけでなく、顧客の職業・事業内容・取引目的との整合性、過去の取引との比較、通常の取引と異なる態様であるかなどを総合的に確認します。不自然に取引を急ぐ、説明が合理的でない、書類の送付先を法人所在地以外に指定するといった事情も、確認のきっかけになり得ます。
疑わしい取引を見つけた場合の届出
特定事業者は、疑わしい取引に該当すると判断した場合、速やかに取引内容などを所管行政庁へ届け出る必要があります。届出は、犯罪収益の追跡や捜査に役立てられます。
届出の判断基準や届出先は、業種によって異なります。例えば不動産業では、国土交通省から示されたチェックリストに該当する項目が一つでもある場合や、該当するか判断に迷う場合には、届出を行うよう求められています。
義務違反による事業者への影響
取引時確認、記録保存、疑わしい取引の届出などを適切に行わない場合、報告徴求、是正命令、行政処分、罰則などの対象となる可能性があります。義務違反は、顧客や取引先からの信用低下にもつながります。
特に、本人確認を担当者個人の判断に任せる運用では、確認漏れや記録漏れが発生しやすくなります。統括管理者の選任、社内規程の整備、従業員研修、取引リスクの評価・見直しを継続的に行うことが必要です。
2027年4月の本人確認厳格化と準備
変更される非対面本人確認の方法
2027年4月1日から、改正された犯罪収益移転防止法施行規則が施行されます。非対面の本人確認では、本人確認書類の券面画像だけに依存する方法が見直され、ICチップ情報や電子証明書を活用する方法が中心になります。
マイナンバーカードを用いる公的個人認証、本人確認書類のICチップ情報と容貌画像を組み合わせる方式、スマートフォンに搭載されたマイナンバーカード機能を用いる方式などが、主な選択肢となります。
廃止・見直しとなる本人確認方法
従来、オンラインで広く使われてきた、本人確認書類の画像と本人の容貌画像を送信する方式は、2027年4月1日以降、犯収法上の確認方法として廃止されます。
また、本人確認書類の写しの送付を用いる一部の方法も廃止または見直しの対象です。事業者は、現在利用している方式が改正後も使えるのか、確認方法の内容だけでなく、改正後の条文上の位置付けも含めて確認する必要があります。
ICチップや公的個人認証を使った確認
ICチップを使う方式では、マイナンバーカード、運転免許証、在留カードなどに記録された情報を読み取ります。書類の見た目だけに依存せず、ICチップ情報を確認することで、偽造書類を使ったなりすましへの対策を強化します。
公的個人認証は、マイナンバーカードに搭載された電子証明書を用いて、本人確認を行う仕組みです。利用者側では、対応端末、マイナンバーカード、暗証番号などが必要になる場合があるため、事業者は手続きの案内やエラー時の対応も準備しておく必要があります。
対面確認で求められる対応の変化
対面取引においても、ICチップ付きかつ顔写真付きの本人確認書類を利用する場合、2027年4月以降は原則としてICチップ情報を読み取り、内容を画面に表示して確認する対応が求められます。
ICチップがない顔写真付き書類、顔写真がない書類などでは、転送不要郵便の送付を組み合わせるなど、書類の種類に応じた対応が必要です。窓口や営業現場では、ICチップが読み取れない場合の代替手順をあらかじめ定めておくことが重要です。
事業者が改正前に確認しておくべき準備
事業者は、2027年4月1日の施行日から逆算して、現在の本人確認方法を棚卸しする必要があります。特に、非対面で書類画像と顔写真を用いる方式を採用している場合は、早めに移行先を検討することが重要です。
- 対面・非対面を含め、本人確認を行っている業務と取引の種類を洗い出す
- 現在の確認方式が改正後も利用できるかを確認する
- ICチップ読み取りや公的個人認証に必要な端末、システム、運用体制を整える
- ICチップの読取りエラー、暗証番号の失念、対象書類がない場合の代替手順を定める
- 社内規程、確認記録の様式、マニュアル、顧客向け案内を改訂する
- 窓口担当者、営業担当者、審査担当者への研修を実施する
犯収法への対応は、本人確認書類の確認だけで完了するものではありません。対象取引の判断、取引時確認、記録保存、疑わしい取引の届出、継続的な管理を一連の業務として設計し、制度改正に合わせて見直すことが求められます。











